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第二章:旅の契約

مؤلف: 佐薙真琴
last update تاريخ النشر: 2025-11-24 11:00:12

 旅の準備は、ミラが思っていたよりも遥かに綿密だった。

 セレインは出発の前に三日間を費やし、必要な装備と魔法道具を揃えた。防水加工された旅装束、魔物避けの結界石、応急処置用の薬草、そして詳細な地図。

「北の都までは、通常ルートで徒歩三ヶ月。だが魔物の活動が活発化する季節を考慮すれば、四ヶ月は見ておくべきだ」

 セレインは地図を広げながら説明した。

「途中、エルデンの街とシルフの渓谷を経由する。どちらも補給地点として重要だ」

「はい!」

 ミラは熱心に頷いた。彼女の目は期待で輝いている。

 セレインはその表情を見て、僅かに眉をひそめた。

「勘違いするな。これは観光旅行ではない。危険が伴う」

「わかってます」

 ミラは真剣な顔で答えた。

「でも、初めての長旅だから……ちょっとだけ楽しみなんです」

「楽しみ、か」

 セレインは呟いた。人間特有の感情だ。エルフにとって、旅は単なる移動でしかない。どれほど美しい風景も、千回見れば新鮮さを失う。

 だがミラにとっては違う。彼女の人生で、この旅は大きな冒険なのだろう。

「出発は明朝だ。今夜は村で休め」

「セレイン様は?」

「私は森で休む。明朝、村の東門で待っている」

 ミラは少し寂しそうな顔をしたが、すぐに笑顔を取り戻した。

「わかりました! じゃあ、明日、必ず東門に行きます!」


 翌朝、東門にミラが現れたのは、約束の時刻よりも一時間早かった。

「おはようございます、セレイン様!」

 彼女は息を切らせながら駆け寄ってきた。

「……早いな」

「寝られなくて……」

 ミラは照れくさそうに笑った。

「ワクワクしちゃって、夜中に目が覚めちゃったんです」

 セレインは溜息をついた。だが、その表情に怒りはなかった。

「では、出発しよう」

 二人は村を後にした。

 朝の空気は清々しく、東の空が薄く染まり始めている。鳥たちのさえずりが森に響き、露に濡れた草が朝日を反射してきらめいていた。

 ミラは好奇心旺盛に周囲を見回しながら歩いている。道端の花を見つけては「綺麗!」と声を上げ、珍しい鳥を見つけては「あれは何ですか?」とセレインに訊ねる。

「アオバシラサギだ。この地域に生息する渡り鳥で、春になると北へ移動する」

「へえ〜! セレイン様、物知りなんですね」

「五百年も生きていれば、自然と知識は蓄積される」

「五百年か……」

 ミラは感慨深げに呟いた。

「私、十五年しか生きてないから、セレイン様の人生の三十分の一以下なんですね」

「計算は正確だ」

「でも、不思議です」

 ミラはセレインを見上げた。

「セレイン様と歩いてると、そんなに年の差を感じないんです。なんでだろう」

「君の感覚が鈍いだけだろう」

「ひどい!」

 ミラは笑った。

 その笑い声に、セレインは僅かに違和感を覚えた。

 久しぶりだ、と彼は思った。こうして誰かと言葉を交わしながら歩くのは。


 最初の三日間は、比較的平穏だった。

 街道は整備されており、魔物の出現も少ない。夜は野営をし、セレインが結界を張って安全を確保する。ミラは焚き火の番をしながら、故郷の話や家族の話をした。

「お父さんは、元々猟師だったんです。でも、三年前に山で怪我をして……それから体調を崩すことが多くて」

 ミラは焚き火を見つめながら語った。

「村の薬師さんは、『北の都にある月光草という薬草が必要だ』って言ったんです。でも、それがすごく高価で……」

「だから自分で取りに行くと」

「はい」

 ミラは頷いた。

「お母さんは反対したんですけど……私、何もできないのが嫌で」

 彼女の声には、強い意志があった。

 セレインはその横顔を見た。炎の光に照らされた少女の顔には、幼さと同時に、確固たる決意が浮かんでいる。

「君は勇敢だ」

 セレインは静かに言った。

「だが、勇敢さと無謀は紙一重だ。注意しろ」

「はい……でも、セレイン様がいてくれるから、大丈夫です」

 ミラは微笑んだ。

「セレイン様、強いんですよね?」

「エルフの魔導師として、標準的な能力はある」

「謙遜してる〜」

 ミラはクスクスと笑った。

「あの遺跡の魔法陣を一人で止めちゃうくらいだから、すごいんだと思います」

「あれは基礎的な封印術だ。特筆すべき技術ではない」

「でも私には魔法、全然使えないから……すごいなって思います」

 ミラは羨ましそうに言った。

「魔法、使えたらいいな」

「人間でも魔法は使える。ただし、適性と訓練が必要だ」

 セレインは杖を取り出した。

「魔法の本質は、世界に遍在する魔力を自らの意志で操作することだ。そのためには、まず自分の内にある魔力を感じ取る必要がある」

「魔力を感じ取る……?」

「そうだ。試してみるか?」

 セレインの提案に、ミラの目が輝いた。

「いいんですか!?」

「ただの基礎訓練だ。できるかどうかはわからないが」

 セレインはミラの前に座った。

「目を閉じろ。そして、自分の呼吸に意識を向ける」

 ミラは言われた通り目を閉じた。

「呼吸と共に、何かが体の中を巡っている感覚を探せ。それが魔力だ」

 静寂の中、ミラは集中した。

 最初は何も感じなかった。だが、五分ほど経った頃――

「あ……何か、温かいものが……」

「それだ」

 セレインは頷いた。

「その感覚を覚えておけ。それが君の魔力だ」

 ミラはゆっくりと目を開けた。その瞳には驚きと喜びが満ちている。

「すごい……本当に感じられました!」

「魔力を感じ取れるということは、適性がある証拠だ。訓練を続ければ、簡単な魔法くらいは使えるようになるだろう」

「本当ですか!? じゃあ、旅の間に教えてもらえますか?」

「……構わない」

 セレインは短く答えた。

 どうせ一年だけだ。その間くらい、付き合ってやってもいいだろう。


 四日目の夜、初めて魔物に遭遇した。

 野営地の周囲に張った結界に、何かが触れる気配がした。セレインは即座に立ち上がり、杖を構える。

「ミラ、起きろ」

「え……?」

 眠そうな目をこすりながら、ミラが起き上がる。

「何か来る」

 セレインの言葉が終わるか終わらないかのうちに、茂みから黒い影が飛び出してきた。

 シャドウウルフ――影の魔物だ。体長二メートル、鋭い牙と爪を持つ獰猛な肉食獣。

「下がっていろ」

 セレインは冷静に言った。

 彼は杖を掲げ、短く詠唱する。古代語の言葉が空気を震わせ、杖の先端から緑色の光が放たれた。

 光は蔦の形を取り、シャドウウルフに絡みつく。魔物は咆哮を上げて暴れたが、蔦はますます強く締め付けていく。

「植物魔法……?」

 ミラが驚いて呟いた。

「私の専門だ」

 セレインは淡々と答えた。

 やがてシャドウウルフは動きを止め、その場に倒れ込んだ。気絶しただけだ。殺す必要はない。

「すごい……」

 ミラは目を輝かせた。

「本当に魔法で……あっという間に」

「基礎的な拘束魔法だ。大したことはない」

「でも、かっこよかったです!」

 ミラの素直な賞賛に、セレインは僅かに戸惑った。

「……そうか」

「はい! 私も、いつかセレイン様みたいに魔法を使えるようになりたいです!」

 その言葉に、セレインは何も答えなかった。

 ただ、少女の熱い視線が――何か忘れていた感覚を呼び起こすような気がした。


 それから一ヶ月が過ぎた。

 二人は順調に北へと進んでいた。途中、小さな街で補給をし、時には冒険者ギルドで簡単な依頼を受けて旅費を稼いだ。

 ミラは日に日に逞しくなっていった。最初は長距離の歩行に疲れていたが、今では一日中歩いても平気な顔をしている。魔法の訓練も続けており、簡単な光の魔法――闇を照らす程度のもの――を使えるようになった。

「見てください、セレイン様!」

 ある夜、ミラは掌に小さな光球を浮かべてみせた。

「やっと安定して出せるようになりました!」

「進歩が早い。素質があるのだろう」

「セレイン様の教え方が上手いんです」

 ミラは嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見ながら、セレインは思った。

 彼女は変わった。いや、成長した。一ヶ月前の頼りない少女ではなくなっている。

 だが同時に、セレイン自身も変化していることに――彼はまだ気づいていなかった。

 彼は以前よりも多く言葉を発するようになっていた。ミラの質問に答え、時には自分から植物や星の話をする。沈黙の中で過ごしていた日々が、今では会話で満たされている。

 そして何より――彼は笑うようになっていた。

 僅かに、ほんの僅かに口角が上がる程度だが。

「セレイン様」

 ある日の昼下がり、ミラが言った。

「この旅、すごく楽しいです」

「楽しい?」

「はい」

 ミラは空を見上げた。

「最初は、お父さんの薬を手に入れるためだけに旅をしようと思ってました。でも、今は……この旅そのものが、大切な思い出になってる気がします」

 彼女はセレインを見た。

「セレイン様と一緒だから、楽しいんです」

 その言葉に、セレインは立ち止まった。

「……君は、奇妙なことを言う」

「奇妙ですか?」

「私は護衛として雇われているだけだ。個人的な感情は関係ない」

「でも、セレイン様は優しいです」

 ミラは微笑んだ。

「魔法を教えてくれたり、危険な場所では必ず私を守ってくれたり……それって、優しいってことじゃないですか」

「それは契約の範囲内だ」

「じゃあ、夜に星の話をしてくれるのも? 植物の名前を教えてくれるのも?」

 セレインは答えられなかった。

 確かに、それらは契約には含まれていない。では、なぜ彼はそうしているのか。

「……暇つぶしだ」

 セレインはそう言って歩き出した。

 ミラはクスクスと笑いながら、その後を追った。

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